
雑節
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雑節(ざっせつ)
中国より渡来した暦は日本の気候風土に合わないところがあり、日本の季節風土に合わせるために、様々な工夫が行われてきた。季節をより的確に知る基準として、生活体験や農作業などを照らし合わせて、日本人が独自に生みだしたのが「雑節」である。
節分(せつぶん)
二月三日頃。基は立春・立夏・立秋・立冬(「立」の意味は成るという意味がある。)の前日を示したもので、四季の分かれ目を意味する。季節の変わり目には邪気が生じると考えられ、鬼や災難を追い洗う厄除けの行事が行われてきた。
彼岸(ひがん)
春分(三月二十一日頃)、秋分(九月二十三日頃)を挟む前後三日づつ、計7日間。先祖を供養し、墓参りをする。
春分の日を「彼岸の中日」と言い、彼岸の初日を「彼岸の入り」と言う、最終日を「彼岸明け」と言う。本来仏教行事で、日本独特の習わしで有り、先祖を偲び、彼岸会の法要が行われ、仏壇に牡丹餅を供え、先祖の墓参りをする。また、先祖の例は山にとどまると考えられており、春の農耕開始にあたって、豊作を太陽に祈り、先祖の霊の加護を祈る行事が仏教行事に組み込まれたものである。
社日(しゃにち)
社とは、産土(うぶすな)神のことで、春分、秋分に最も近い戊(つちのえ)の日。田(土)の神に、春は、五穀の種を神前に供え、豊穣を祈り、豊作祈願をし、秋は初穂を供え、収穫のお礼、感謝をする。神棚におはぎや団子を供え、祈りと感謝をする。また、農作業を進める目安ともした。
八十八夜(はちじゅうはちや)
五月二日頃。立春から数えて八十八日目で、遅霜に注意。八十八は「米」に繋がり縁起が良いとされ、稲の種まきの準備を始める目安とされた。「八十八夜の分かれ霜」などといわれ、この日を過ぎると霜による害がなくなるとされ、農作業を始められる節目とされた。茶摘みが最盛期を迎え、この時期に摘み取られた茶は、質も良く、不老長寿、縁起物として珍重され、この日に摘み取られた茶は、飲むと長生きができると言われ、新・仏にお供えされた。
入梅(にゅうばい)
六月十一日頃。太陽が口径八十度を通過する頃で、梅雨に入る。二十四節気の芒種の後の最初の壬の日とし、小暑の後の最初の壬(みずのえ)の日とされた。梅雨の時期は湿度が高くじめじめととするが、稲の田植えや生育には恵みの雨となる。「五月晴れ」は梅雨の五月雨の合間の晴れた日を言う。この時節に青い梅が熟す時期であることから「梅雨」に繋がったと言われる。「梅の土用干し」が行われる時期である。
半夏生(はんげしょう)
七月二日頃。夏至から一一日目。梅雨の終期にあたり、田植えを終える目安となる日。
「烏柄杓」(サトイモ科夏緑多年草。地下に球茎を持ち、皮を乾燥させたものが漢方薬の生薬「半夏」、嘔吐、咳止め、去痰に効果あり。)という薬草が生えるころ。(別に「半夏生」と言う薬草、どくだみ科多年草、別名片白草、葉の一部が白くなり「半化粧」とも言われる。田植えを終わらす目安となり、以降に植えたものは「半夏半作」と言い、半分しか収穫が望めないと言われる。田植えの重労働から来る疲労の蓄積から、働くことを忌み、休養と栄養をとって体力の充実を図った。
土用(どよう)
土の気が活発になると言われ、土をいじったり殺傷を忌む期間。
土用は、立春(四月十七日頃~五月五日頃)、立夏(七月二十日頃~八月七日頃)、立秋(十月二十日頃~十一月七日頃)、立冬(一月十七日頃~二月三日頃)の前日までの18日間を言う。土用は季節の変わり目を示し、次の季節の準備期間、最初の日を「土用の入り」最終日を「土用明け」と言う。土用の丑の日にウナギを食べる習慣は、江戸時代の蘭学者平賀源内が広めた。「土用干し」梅を干す、衣類や書物に風をととす、田んぼの水を抜き、強靭な稲の生長を促す。
二百十日(にひゃくとうか)
九月一日頃。立春から数えて二百十日目。稲の開花期にあたり、台風の襲来に警戒すべき日。「風祭り」を行う。
「三大忌日」、八朔(強風の意味もある。農家が田の神に作頼みをする日、田や畑にお供え物をして、取り入れたばかりの稲などを地縁者に送り、祝い、豊かな実りを祈願する。)、二百十日、二百二十日を指し、台風の襲来に警戒すべき日とし、九月一日には「風祭り」、風ひまち、風籠りと呼ばれ、秋の実りの安全を祈願する。
二百二十日(にひゃくはっか)
九月十一日頃。立春から数えて二百二十日目。台風の襲来に警戒すべき日。