初午

2月の第1午の日を圧馬と言い、各家の稲荷神社に五穀豊穣を願いお参りをする。

初午は、和銅4年の2月最初の馬の日に、京都伏見の稲荷神社で祭礼が行われたことから由来していると言われている。

お稲荷様の信仰が広まったのは、江戸時代で、穀物の豊作を願って祀る神様で、幕府の改革などで名高い田沼意次が自分の屋敷にお社を祀ったことで運が開けたという評判が広まり、武士たちも祀りはじめ、庶民の商人たちが、商売繁盛や家内安全の神様として信仰の対象とした。

木造建築が密集した江戸では火事も多かったため、家屋やお店を災害から守ってくれる神様としても祀られました。稲荷神は狐の姿ではない。

お稲荷様には狐の像がつきもので、狐は稲荷神の御遣いとなる神使で、狐には昔から人の寿命や作物の収穫量などの未来が分かり、人の精気を奪う、あるいは人を化かすなど、神秘的な動物として扱われてきた。たれ下がった稲穂が尻尾に似ていることや、米を食べるネズミを退治すること、また、稲荷神社の祭神である宇迦之御魂大神の別名が御饌津神(みけつかみ)と言い、漢字で「三狐神」と書けることなど、お稲荷様の御遣いが狐となった理由には、諸説ある。

また、狐は春になると山から人里に降りてきますが、秋になるとまた山に戻ります。同様にお稲荷様も田植えの時期に現れて、秋の収穫が終わると山に戻って行くと言われ、その類似性から、お稲荷様と狐を結びつけられました。

狐は昔から人間の暮らしや稲作と関わりが深く、信仰の対象でもあったため、お稲荷様の御遣いに選ばれた。

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稲荷神のご利益

お稲荷様のもたらすご利益は、五穀豊穣や豊作祈願に加え、現在では祀る人や場所により、さまざまなご利益が得られると言われ、代表的なものが商売繁盛で、さらに、芸事や縁結び、衣食住や家内安全、所願成就など、多くのお願い事が叶うとされています。

また、神社によって境内にある狛狐が咥えているものの種類によって授かるご利益も異なり、巻き物を咥えている場合は知恵や学業を、丸い珠の場合は五穀豊穣を、稲穂やカギは稲そのものや稲倉のカギを表すため、稲の豊作にご利益があります。

野崎町内の古い農家には稲荷様が祀られ、分家分にわ祀られることはなく、近くの稲荷神社に参拝に行くことが多かった。また、野崎八幡社にも下社として祀られている。

今は亡き大本家のお稲荷様は、大きな赤い鳥居の奥に祀られ大きな上屋で覆われていた。祠の前には幾つものお狐様が置かれ、1尺5寸もありそうなお狐様が祀られ、体が白く、太めの尾が付き、大きく唇が赤く、口元にひげが生え、目が吊り上がり、内側が赤い耳がキット立っている姿をしていて、正面から見るのが恐ろしい感じがした。子供の頃には、悪いことをする、人をだます、鶏を食ってしまうなど決して良い話がないきつねであり、夕方の急に振り出す、晴れ雨を狐の嫁入りとも言われていた。

我が家では先代の爺様が本家の稲荷様に参拝に行き、その時には、「正一位稲荷大明神」と書かれたのぼりを持ち、祠のわきに立て、母が用意をした御神酒、油揚げを1枚、稲荷ずし、赤飯をお供えし、五穀豊穣、商売繁盛、繭の豊作を祈ったという。

父母はこの時を逃さず、「正一位稲荷大明神」の篠だけに真中でひもを通し結わえた幟の字を書く練習を子供たちに「今日練習すれば自が上手になると言い」をさせた。

初午の日の朝食は赤飯と稲荷ずし、油揚げの具の入った味噌汁であり、仏壇、荒神様に赤飯とお稲荷さんをお供えし、五穀豊穣、家内安全を祈った。

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