お釈迦様がお亡くなりになった日。(お釈迦様、三大法会、2月15日涅槃会、4月8日灌仏会、12月8日成道会)お釈迦様は幼いときから人生の四苦(生・老・病・死)の苦しみから人々を救うことを心に決め、29歳ので出家沙門となり、苦行6年、35歳で菩提樹の下で悟りを開かれ、一切の衆生を済度(救い)するために説法をされ、以来40年間、いたるところで仏法を解かれた。
80歳の時に沙羅双樹の下で病の床に就き、最後まで弟子や大衆のために教えを説いた。
安詳して(心穏やかに)涅槃(死没でなく、仏教の目指す苦しみの原因をすべて断ち切った仏道の完成)にお入りになった。お釈迦様は、涅槃に入ったが、永久に生きとおしておいでになるというのが仏教徒の信仰である。
稲荷神のご利益
お稲荷様のもたらすご利益は、五穀豊穣や豊作祈願に加え、現在では祀る人や場所により、さまざまなご利益が得られると言われ、代表的なものが商売繁盛で、さらに、芸事や縁結び、衣食住や家内安全、所願成就など、多くのお願い事が叶うとされています。
また、神社によって境内にある狛狐が咥えているものの種類によって授かるご利益も異なり、巻き物を咥えている場合は知恵や学業を、丸い珠の場合は五穀豊穣を、稲穂やカギは稲そのものや稲倉のカギを表すため、稲の豊作にご利益があります。
野崎町内の古い農家には稲荷様が祀られ、分家分にわ祀られることはなく、近くの稲荷神社に参拝に行くことが多かった。また、野崎八幡社にも下社として祀られている。
今は亡き大本家のお稲荷様は、大きな赤い鳥居の奥に祀られ大きな上屋で覆われていた。祠の前には幾つものお狐様が置かれ、1尺5寸もありそうなお狐様が祀られ、体が白く、太めの尾が付き、大きく唇が赤く、口元にひげが生え、目が吊り上がり、内側が赤い耳がキット立っている姿をしていて、正面から見るのが恐ろしい感じがした。子供の頃には、悪いことをする、人をだます、鶏を食ってしまうなど決して良い話がないきつねであり、夕方の急に振り出す、晴れ雨を狐の嫁入りとも言われていた。
我が家では先代の爺様が本家の稲荷様に参拝に行き、その時には、「正一位稲荷大明神」と書かれたのぼりを持ち、祠のわきに立て、母が用意をした御神酒、油揚げを1枚、稲荷ずし、赤飯をお供えし、五穀豊穣、商売繁盛、繭の豊作を祈ったという。
父母はこの時を逃さず、「正一位稲荷大明神」の篠だけに真中でひもを通し結わえた幟の字を書く練習を子供たちに「今日練習すれば自が上手になると言い」をさせた。
初午の日の朝食は赤飯と稲荷ずし、油揚げの具の入った味噌汁であり、仏壇、荒神様に赤飯とお稲荷さんをお供えし、五穀豊穣、家内安全を祈った。