高尾・神馬・景信山を登山

昨日の雨はきょうの登山はできるのかというような様子であったが、朝5時に起きて空の様子は、天気予報の通りでもあったが、無事に登山ができる様子であった。

武蔵境駅で娘と待ち合わせ、昼食のおにぎり2つと、水1本、カップラーメンを買い込む。

6時45分に中央線に乗りこみ、高尾駅に到着、北口より、「神馬高原下行き」西東京バスに乗る。

下車するとすぐにと道路を歩き、登山口から登山を開始した。

今日の登山は、新調した登山靴の慣らしの為の登山と決めていた。寝不足ではあったが、体調は悪くなく、歩け、トレーニングの成果も出た。

・神馬高原下から神馬山山頂へ向けて登山、体調は良かったが、久しぶりの登山で、足が多少重く感じたが、神馬山頂までのきついところがある登山の歩みは良かった。トレ₋ニングの成果と考えられる。

なぜか乗り捨てられたカブが置かれていた。

神馬山頂で 白馬像で写真を撮る。頂上にはキンポウゲが沢山咲いていた。

セイヨウ十二単(蔓十二単)

茶店・娘とコーヒーを飲む。山頂でのコヒーも美味い。

アメリカノリノキ(アメリカ紫陽花・紫陽花に一種)

奈良子峠―明王峠―底沢峠

明王峠表杭
明王峠茶屋


景信山山頂(三角点 景信茶屋)で昼食、娘が湯を沸かし、カップ麺を作り、握り飯を2つ楽しむ。

後にココアを作ってくれたが、今までのココアのイメージと違い大変美味しく飲むことができた。

小仏峠―城山(城山茶屋)-一丁平―もみじ台

城山茶屋
建物に掲げられた天狗
木彫りの大きな天狗の像
アメリカ鬼アザミ
アザミ
黒桑
フタリシズカ
コゴメウツギ
1丁平の標識
1丁平の標識
マルハウツギ
ガクウツギ(ガクアジサイに一種)

正式名称「高尾山薬王院有喜寺」は天平16年(744)に、聖武天皇の勅令により東国鎮守の祈願寺として、高僧行基菩薩により開山された。薬王院の名は創建当初、薬師如来をご本尊とした事に由来し、現在は真言宗智山派の大本山として「成田山新勝寺」「川崎大師平間寺」「高尾山薬王院」が三大本山として知られている。

南北朝時代の永和年間(1375)には京都醍醐山より俊源大徳が入山し、ご本尊「飯縄大権現(いづなだいごんげん)」を奉祀し中興された。戦国期、飯縄大権現は戦国武将の守護神として崇敬され、上杉謙信や武田信玄の兜表にも奉られ、また北条家の手厚い保護も受け江戸期に入ると徳川家(特に紀州家)との仏縁により隆盛をむかえた。

戦国時代の世に武将の間で、優れた妖術として熱い信仰を集め、武田信玄は、飯縄大権現の小像を懐中して、守護神としたと語られ、山形県上杉神社に遺される上杉謙信の兜の前立には、飯縄大権現の尊像が祀られているのである。

元来、飯綱山の麓、長野県上水内郡、下水内郡の辺りでは、飯綱山の残雪を「種蒔き爺(じ)っさ」と視て取って、苗代の籾播きをする慣わしが在り、農耕を司る守護神として山を崇めてきた。

古来、高尾山は修験道のお山といわれ、修験道を修める人のことを山に臥し野に臥しながら修行することから「山伏」と呼ぶようになった。また、修験道根本道場として知られ、山伏修行が随時行われ、昔は山伏が深山幽谷に籠もって難行苦行を重ね、やがて高尾山の霊気と融合して、呪力、験力を体得して大先達となり、山伏の姿が天狗と同一視されることも多い。

高尾山には、今もなお「琵琶滝」と「蛇滝」の二つの滝を擁し、滝修業の道場として、一般の方にも門戸を開いている。

高尾山と天狗信仰

天狗様は飯縄大権現様の眷属(随身)として、除災開運、災厄消除、招福万来など、衆生救済の利益を施す力を持ち、古来より神通力をもつとされ、多くの天狗伝説や天狗信仰があり、神格化されている。この様に高尾山は、飯縄信仰と共に天狗信仰の霊山としても知られている。

高尾山山頂(高尾山ホームページより移記)

奥の院 不動堂 薬王院の奥の院で、江戸時代初期の寛永年間(1624年-1644年)の建立で、1953年(昭和28年)東京都指定有形文化財に指定される。本尊の木造不動明王及び二童子立像は寄木造り・玉眼・彩色で、室町時代以前で鎌倉仏の特徴を持つ優秀な作として、1962年(昭和37年)にこちらも東京都有形文化財(彫刻)に指定された。本尊の他に行基菩薩・俊源を祀る。

薬王院

壁面に彫り物が掲げられ(日光の東照宮に似たものがある)拝殿前には両側に天狗の像が安置されている。

薬王院
薬王院正面

両側に立つ天狗像

天狗の奉納額

三鷹市内にも「天狗様」と呼ばれ信仰者も多い。牟礼地区には天狗様を屋敷内にお祀りをしている家もあり、階段の柵の柱に三鷹市内の人の名前も見ることができる。

王院の中心となる本社で、飯縄権現を祀る社殿(神社)である。

現在の社殿は1729年(享保14年)に本殿が建立され、1753年(宝暦3年)に幣殿と拝殿が建立された。

1998年(平成10年)に大改修を行なわれた。

江戸時代後期の代表的な神社建築で1952年(昭和27年)に東京都指定有形文化財に指定されている。

入母屋造の本殿と拝殿を幣殿で繋いだ権現造である。

社殿全体に華麗で極彩色の装飾がなされている。社殿前方には鳥居があり、神社であり、寺院の中にある神社という形態は神仏分離以前の神社の姿の一つの典型例といえる。本尊の飯縄大権現立像は異形の仏として有名。

江戸時代、絹産業は高尾山薬王院への侵攻と深く結びついていた。

養蚕農家は大切な解雇をネズミから守るために「蚕守」の御札を絹商人は周辺の養蚕農家や機屋や、江戸の問屋に薬王院の護摩札を取り次ぎ、高尾山の信仰圏を拡大させた。所願成就の返礼として杉苗の奉納が行われ、山内の石碑などに「杉苗奉納」が記されている。

福徳稲荷

福徳稲荷

飯縄権現堂の狛犬


霊山・高尾さんへの入り口の鳥居 「霊気満山」の扁額が掲げられている

タコすぎと云われ

三鷹の信仰者の名前が見られる。

高尾山薬王院―女坂(男坂あり)―浄心門-タコ杉-高尾山猿園

ケーブルカー高尾山駅乗車(乗車前に「カソフト」を購入食す)

ケーブルカー清滝駅下車―京王高尾山駅前商店街-京王高尾山温泉・極楽湯―京王線高尾山口駅乗車

高尾駅にて、中央線高尾駅から乗り換え、武蔵境駅まで帰る。武蔵境駅駅ビルのイタリア料理店で夕飯を家族で食べる。

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