三鷹の農業と堆肥の活用について

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三鷹の農業と堆肥の活用について

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江戸時代に新田開発が行われた時代には、街道筋に屋敷を構え、上口(入り口)を決め、次に畑、雑木林と区切り、1軒とし分けられ、街道に沿って家が並んだ。屋敷も広く、家の周りには、茅葺屋根を守るための樫の木が植えられ、臼、杵、木材など、生活道具などに利用するケヤキの木が植えられていた。また、建築資材とするために杉の木なども植えられ、そのほかに燃料用の雑木なども植えられ生活に利用した。また、棕櫚の木が植えられ、皮を利用し腐らない棕櫚縄を造り、桶の釣り手、井戸の水くみ桶縄として利用した。雑木林には、薪炭用のくぬぎ、コナラが植えられ、15年~20年で切り倒し、燃料として利用、また薪として販売した。落ち葉を堆肥などに利用した。孟宗竹を植え、竹林を造り、タケノコを食用に利用、かごなどの生活用品、農業の資材として、加工利用した。農業の形態も、サツマイモ、サトイモ、雑穀の栽培から、近代になると都市化し、人口増加に対応するため、東京向けの野菜栽培がおこなわれるようになり、近郊農業へと変化した。作物は、スイカ、ハクサイ、うどの産地化が進み、葉物野菜、根菜類など種類も多く栽培され近郊農業として発展した。オリンピックを境として、道路、鉄道網が整備され、トラック輸送が活発となり、地方の野菜が東京に出荷されるようになると近郊農業は衰退した。その後は、農業の再生、活性化に努力が続き、ブロッコリー、カリフラワーなどの西洋野菜が導入され、キウイフルーツ、ブドウの栽培など、より収益性の高い作物の導入が進み、一方では、軒先販売が普及し、野菜の少量多品目栽培、販売が発展し都市農業の形態となった。

土壌は、岩石、火山灰などの風化したものに有機物が混ざり合ったものであり、持つ機能は、団粒構造と言う、土の粒が固まっている状態にあり、その隙間を孔隙と言われる隙間がある。これにより、保水力が生まれ、水分が保持され、透水性が高まり、空気の通気をよくし、その隙間に有機物を分解する微生物が繁殖する。微生物の活動により分解され、その時生成された、植物に吸収される養分を保持する。このことから、団粒構造のよく発達した土壌が良い土壌と言われる。良い土壌を造るため、団粒構造を発達させるために、有機物(腐植質)を施用する必要があり、常に心掛ける必要がある。

施用する有機物は、木、くさ、動物、人間の糞尿などがあるが、微生物により分解が早いものと、遅いものがある。草や動物性有機物は分解が早く、木の木質部分は分解が遅いこれらの混合体が腐植質である。土の中にはその両方が備わることが必要で、そのために堆肥として施用することである。たに、土壌を肥やすために、トウモロコシ、麦類を栽培し、青がりし土壌にすきこむ緑肥がある。レンゲ、馬肥やし、青刈り大豆など、マメ科植物を栽培し、根粒菌による、空中窒素を固定させる作用を活用することがある。

木、くさ、動物、人間の糞尿などは、生で利用することは課題が多い、通常は、含まれる微生物の活動を利用し、醗酵など、熟成させてから活用する。鶏糞は非常に肥料成分(有機物・窒素・リン酸・カリ)の含有量が多い。家畜(牛、馬、羊、豚)の分にも肥料成分が多く、尿は少ない。家畜の肥育時に敷き藁として、藁、糞・尿と混合させたものを厩肥と言う。

堆肥の肥料効果は、その作り方によって違い、目的によって作り方を変える必要がある。木のチップや落ち葉だけを積み込み醗酵させたものは、土壌改良効果を求めるもので、落ち葉に藁や糠などを積み込み、家畜の糞尿をかけ、熟成させて利用し、元肥などとして、中期、即効性の両部分活用する。わらや刈り草に糠を混ぜて積み込み、家畜のフン・尿を加え、発酵、熟成させ、即効性の肥料として、追肥などに活用する。

近年では、有機物の入手が困難となりつつある。代換物として、鶏糞、油かすなどを利用せざるを得ない。

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