我が家の神様

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我が家の神様

このページは我が家の神様についてをテーマに記載しています。

神具は、榊立て、瓶子、水玉、平瓦、ロウソク立て、御神鏡を最低限揃え、原則として榊は1日、15日、その他のお供えは毎日お取替えし、その他のお供えを毎日お取替えするが、榊同様に1日と15日にお取替えする。
但し、お灯明は毎日灯して下さい(現在は、火災を警戒し、正月と恵比寿講の日と決めている。)。注連縄(正月)は棚板に付属の雲板の前に取り付けます。

神棚 本社

中心にある社は、家を建て替えた昭和48年に、父が伊勢神宮をお参りし、その時に買い求めたものである。普段家から出ることもなく過ごしていた父が、朝一番の新幹線に乗り、伊勢神宮を参拝し、持ち帰ったもので、この大きさであると結構高価であったと思われる。またこの大きな荷物を新幹線の中を持ち歩いたとも聞いた。その時に、一緒に「天照大神」の掛け軸も買い求めてきた。現在では普段床の間にかけてあったが、子供が悪戯をして、下側の軸を破いてしまい、戸棚にしまってある。

右側にある竹を切ったものに幣束が立てられているが、「歳神様」をお祀りする所としている。

宮型(お社)には、中心に「天照皇大神宮」(神宮大麻と言う)左に「明治神宮」右に「野崎八幡社」の御札を納めてある。両側には榊を置いている。

この世に生きるすべてのものは、天地の御守護によって生活を営んでいる。お伊勢様の「天の恵み」と、氏神様の「地の恵み」とが一つとなって、より尊い御神威が現れ、より一層の御守護をいただける。

皇大神宮は、天照大御神様をお祀りし、「日本人のふるさと」と親しまれ、皇室のご先祖の神様であり、国民の総氏神様である。その広大無辺の御神徳は太陽に例えられ、「天の恵み」と仰がれる。

氏神様は、地域住民の心のよりどころとしてお祀りされ、農業を守護し、漁業にあっては大漁をもたらす、諸産業を守護し、その土地に暮らす全ての人々(氏子)とその生活をお守りくださる、最も身近な神様。

お正月を迎えるにあたり、お伊勢様、氏神様、明治神宮のおかみ札を新しいものに取り換える。このことは、より新しいお力、より新しい生命をいただくという意味がある。

尚、さらに左側には、時々にお参りする神社のお札を掲示している。

神棚には、神饌(お供え)を供える。米、酒、塩、水をお供えし、コメ・塩は平瓮(ひらか)、水は水器(すいき)、酒は瓶子(へいし)の白色陶器の祭器具を用いる神前中心にコメ、両側に酒、右前に塩、左前に水をお供えする。

季節の初物や頂き物なども、神棚にお供えしてから家族でいただくことが望ましい。

歳神様

歳神様は12月31日日が暮れるとやってくる神様。神棚の本社の右に竹を切ったものに幣束が立てお祀りする。

歳神 様は12月31日日が暮れるとやってくる神様。神棚の本社の右に竹を切ったものに幣束が立てお祀りする。あたらしい年が、家族みんなが健康で、幸せに暮らせるように、家族みんなでお迎えし、同じものを食べおもてなしをする。お正月には「年玉」と言う鏡餅をお供えする。そのお裾分けが「お年玉」と言われる由縁である。

日本神話では、『古事記』において須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた大年神(おおとしのかみ)としている。両神の間の子にはほかに宇迦之御魂神がおり、これも穀物神である。また、大年神と香用比売(カグヨヒメ)の間の子に御年神(みとしのかみ、おとしのかみ)、孫に若年神(わかとしのかみ)がおり、同様の神格の神とされる。
毎年正月に各家にやってくる来訪神である。地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれる。
現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であった。各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えた。
また陰陽家では、娑伽羅竜王(しゃがらりゅうおう)の娘、女神・頗梨采女(はりさいじょ)のことを年神といい、元旦に来訪する神霊という。のちに、これに先祖霊が加えられ、習合した。
「年」は稲の実りのことで、穀物神である。本居宣長は「登志とは穀のことなり、其は神の御霊以て、田に成して、天皇に寄奉賜ふゆえに云り、田より寄すと云こころにて、穀を登志とはいうなり」と述べ、穀物、農耕神であるとした。
信仰の根底にあるのは、穀物の死と再生である。古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈念されるようになり、それが年神を祀る行事となって正月の中心行事となっていった。
また一方で、年神は家を守ってくれる祖先の霊、祖霊として祀られている地方もある。農作を守護する神と家を守護する祖霊が同一視されたため、また、田の神も祖霊も山から降りてくるとされていたためである。
柳田國男は、一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神であるとしている。

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戎(恵比寿)大国

国内海外との貿易の海路にあっては、航海安全、商売繁盛の神として、市場だけでなく多くの商人が信仰するようになった。また、恵比寿様は内陸地域においては田んぼの神様、五穀豊穣の神様として信仰され日本各地で信仰されるようになった。そして、室町時代には恵比寿様の信仰と、恵比寿様の親である大国主命と同一視される大黒天の信仰がつながり、恵比寿様と大黒様が一緒に祀られるようになったとされる。

大黒様は元はインドのマハーカーラ(シヴァ神の化身の闘争神)というとても怖い神様だったそうです。日本に来てからは、事代主神の親に当たる大国主命と「ダイコク」と読めることや天台宗の最澄によって同一視されるようになった。大黒様のご利益は、富貴栄達、財運・金運、出世開運、商売繁盛、五穀豊穣など、恵比寿様も大黒様も、私たちの生活に福(特に財の面)をもたらしてくれる神様として祀られます。この恵比寿様と大黒様は2柱の置物を一緒に置くのが一般的となったのは室町時代と言われる。

恵比寿講は恵比寿様の日として全国様々な地域である祭りのえびす講は、旧暦の10月(神無月)に行われる行事で、現在では10月20日か11月20日のいずれかで行われる。神無月に国津神は出雲の方に神様の集会で出ずっぱりになり、神社の留守を恵比寿様が守り、五穀豊穣や商売繫盛を願う。

十日戎(えびす)は、恵比寿様が誕生されたとされる1月10日にその誕生をお祝いしてご利益に預かろうと考えたことが由来とされます。








我が家の恵比寿様と大黒様は、平成4年父の相続が終了したのちに手に入れたものである。右側の面は、支援者の一人がたたき出しの方法で作られたもので、棚にお飾りすることとした。左側のマスは、先々代より使用してきている升で、一升、五合、一合升で、他に一頭升があり保存してある。 

大黒宮の設置場所は、目線より高いところ(神様なので見下すことのないように)、神棚の正面が南か東にくるところ、明るく静かな場所にする。

恵比寿、大黒像の位置 「向かって右が大黒、向かって左が恵比寿です。」左のほう(向かって右)が上です。

古来から、立ち位置は左(向かって右)が上位とされております。 

神具は、榊立て、瓶子、水玉、平瓦、ロウソク立て、御神鏡を最低限揃え、原則として榊は1日、15日、その他のお供えは毎日お取替えし、その他のお供えを毎日お取替えするが、榊同様に1日と15日にお取替えする。

但し、お灯明は毎日灯して下さい(現在は、火災を警戒し、正月と恵比寿講の日と決めている。)。注連縄(正月)は棚板に付属の雲板の前に取り付けます。

心を込めてお祀りし、毎朝、お灯明を灯し、ニ拝四拍手一礼をして御奉斎する。

 

台所にも神棚を設け竈神をお祀りし、日常の食べ物を煮炊きし命をつなぐ大事な竈を司る神の恩徳を讃え、また火防せ火災除けの御守護を祈ります。火の神であると同様に農業家畜家族を守る守護神ともされる。

公人祭りだけでなく、月見のダンゴなどの行事や生活に纏わるものをお供えし、ご守護を願うこととしている。

神道では三宝荒神ではなく、竈三柱神(稀に三本荒神)を祀る。竈三柱神はオキツヒコ(奥津日子神)・オキツヒメ(奥津比売命)・カグツチ(軻遇突智、火産霊)とされる。オキツヒコ・オキツヒメが竈の神で、カグツチ(ホムスビ)が火の神である。

一、宮の中に、竈三柱大神神璽(かまどみはしらおおかみしんじ)、奥津日子神(おくつひこのかみ)、奥津比売神(おくつひめのかみ)、火産霊神(ほむすびのかみ)

一、宮の右側の祈祷神符剪み立て、鎮火祭祈祷神符(ちんかさいきとうふだ)

一、宮の前の藁つくり3連御幣立て(初代より3代に渉り使用中)竈神の御幣(三本)
(日本の仏教における尊像・三宝荒神は、かまど神として祀られることで知られる。これは、清浄を尊んで不浄を排する神ということから、火の神に繋がったと考えられている。)

井戸の神様

初代が掘削した井戸

お正月のお祀り

この井戸は我が家が居を構えた時に、初代夫婦が協力をして掘ったもので、我が宍戸家の始まりであり、すべての礎となっていることを忘れてはいけない。その時の志を尊重し、継承を心に大切にお守りする。生活の基と清水を大切に活用し、農業にあっては、発芽、生育、肥育、収穫にと活用し、生きること、生活することのすべての礎となっていることに感謝し、持続可能性を高めるために努力し、水を活用することを心として大切に守り、井戸におわす神様をお祀りし、御守護を祈るものとする。

井戸の神様は、普段は井戸に向かい手を合わすだけである。正月には井戸の覆い蓋の上に、大根に御幣をたて井戸神様をお祀りし、神饌をお供えし、灯明を上げ、二礼二拍手で、井戸の枯れることの無きよう、安全で安心して飲むことができる水の御守護を祈る。

上水道、さらには温水までもがいつでも自由に使えるようになり、水汲みや薪割りといった仕事はなくなり、毎日の暮らしは楽で快適なものになった。安全で快適な暮らしは大切で生活の向上は、川や井戸といった水の世界からの距離が遠くなり、自然の水が日々の暮らしの中からは見えにくくなった。水との距離が遠くなればなるほど、水に寄せる思いも遠ざかってきた。水への思いが強ければ、安易に水を汚すことはない。

下水の進展は、汚した水も暗渠を通り、生活の場とは遠く離れたところで処理されることで、ますます水との距離感が遠くなっています。目に見える範囲で処理され、その水によってきれいな流れがつくられ、緑や環境が守られ、多くの生きものたちが育まれるようになれば、もっと水を大切にしようという心も復活するはずです。

日々井戸神様にご守護の感謝とこれからの自然、環境を守る覚悟を胸に祈る。

御神木

屋敷の北西部に樫の高木がある。初代より我が家の御神木として大切に管理を行っている。神様がこの木を伝い下りてくると、また帰ると言われている。

初代が、茅葺の屋根を守るための防風林として定植した中の最も形質の良い物であった。現在は、正月にしめ縄を張り、神の使いとして、家、家族の御守護を願い、お守りし、祈りをささげる。また、多くの敷地内にあった樹木の御霊を移してある、御霊が宿る大切な木である。

江戸時代後期の剣客近藤内蔵之助が寛政年間(1789年 – 1801年)頃に創始した流派で、古武道としては比較的新しい。

御神木

樹齢100年を超すカキの木

この柿木は初代が家を構えた時に移植したもので、仙台が言うには、私が青年の時に70年は杉田と話をしていた。その後の経過年数を計算すると、100年を超している。

木を見ると、台木に接ぎ木したもので、大木の種類は解らないが、上は禅寺丸で、実は胡麻の入る、甘い柿である。以前は、広く枝を広げ、たくさんの実を付ける巨木となっていたが、葉が大量に舞い、ご近所に迷惑をかけることから、枝を詰め仕立てている。これだけの木はなかなか地域にもない物であり、我が家とともに生きてきた証ともいえる。自由に伸びることができない時代であるが、共に発展を願い、持続可能性を継承するとともに、家族の御守護を願い祈る。

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