歳時記(2月の行事・農作業)

2月写真

2月(如月 きさらぎ)

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目次

行事一覧

行事の日時は旧暦に由来するため、新暦(太陽暦と差があり)年によって違う。

暦の上の春 立春から立夏の前日までをいう。月では 1月(睦月)から3月(弥生)までをいう。
現在では、3月から5月まで、天文学では、春分から夏至までをいう。

節分 豆まき

立春の前日に当たる雑節の一つで、旧暦(太陰地員太陽暦)では、立春に近い新月の日を元日とし、その前日は大晦日にあたり、新しいことが始まる節目のときには魔物が現れると言われ、また、新年を迎えるために邪気、悪霊や疫病をはらう行事が行われた。現在のような豆まきの風習は、古代中国より奈良時代に伝わり、宮中の年中行事となり、豆まきを行うようになったのは室町時代で、江戸時代に一般庶民に広まったと言われている。

立春 旧暦の新年・元日(新月の日)

季節は、「春夏秋冬」と言うように「立春(2月4日頃)」から始まる。旧暦(太陰地員太陽暦)では、立春に近い新月の日を元日とし「年の始まり」の意味もあった。正月は立春とほぼ同じ時期で、元旦の「初春」「迎春」とは立春であり、年賀状に「初春」「迎春」と書く習慣は、立春が元日であったことから由来する。

七十二候・二十四節気 立春

4~8日 初侯 東風解凍(とうふかいとう) 春風氷を解く 東からひてくる風が、厚い氷を解かす時期。

9~13日 次候 黄鶯??(こうかんけんかん)鶯鳴く 鶯は、冬の間は藪に隠れ、ちぃ、ちぃ、ちぃ」と鳴くが、春になると囀り始める。

14~17日 末候 魚上氷 (うおこおりをいずる) 水ぬるむ季節、氷の間から魚が飛び跳ねる時期。

初午

旧暦二月最初の午の日に行う稲荷神社の祭礼を「初馬」(はつうま)と言う。稲荷は商売繁盛の神とされるが、主祭神は農耕を司る・五穀豊穣の神宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀っている。

「うか」は食物、稲霊を意味し、もともとは稲成(稲生り)から来る、語源とされている。

七十二候・二十四節気 雨水

18~22日 初候 土脉潤起 (つちのしょううるおいおこる)雨が降って、土がいくらか湿り気を含みだす。

23~27日 次候 霞始雲逮 (かすみはじめてたなびく)霞がたなびき始める。

28~3月4日 末候 草木萌動 (そうもくめばえいずる)草木が芽を吹き始める。

気象用語に「霞」はなく、もや、切り、濃霧の三つだけで、視界の良しあしで使い分ける。春は霞、秋は霧

暮らしの記憶

節分

節分の日の夕方に、季節の変わり目に生じる邪気をはらうために、柊の枝と焼いたイワシの頭を門戸にさす。鰯のにおいに誘われた鬼の目を柊の葉のとげで刺すとも言われ、鰯の焼いた生臭い臭いは邪気を払うとも言われる。

鰯の頭を焼くときは、豆がら(茎)に鰯の頭を差し、「チチンプイプイ、お腹の虫も、畑の虫もこの火で焼いてしまいます」と繰り返し呪文を唱えながら行った。

旧暦の大晦日にあたり、新年を迎えるための、邪気や疫病を祓う行事。古代中国の行事が奈良時代に日本に伝わり、宮中の年中行事となった。
現在の豆まきの風習は、室町時代に始まり、江戸時代に一般庶民に広まった。
豆まきの日には、柊の葉(鬼が葉のとげを嫌い、鬼を寄せ付けず、退散させる。)、魚のお頭を豆の茎に付け火であぶったもの(魚の頭を炙るときの呪文は「この火で、畑の虫も、体の穢れ、虫を焼いてしまいます。
この火で、畑の虫も、体の穢れ、虫を焼いてしまいます。」を繰り返す。
油がしたたり落ち始が適期であり、一番厳しいにおいとなる。
鬼は魚などの生臭いものを嫌い、家に近づかない)を戸口(家の戸口だけでなく、井戸、物置、倉庫、車庫などなどの入り口に飾り、最初は家の中から、各部屋の窓を開け、「福は内、鬼は外、をくりかえす。」最後に玄関より外に出て、家だけでなく、井戸、物置、倉庫、車庫などヒイラギと魚の頭を供えたところなどの入り口で豆まきを行う。
子供の頃は近所の人たちが、大きな声で豆まきをしており、その声が聞こえてきたが、昨今では我が家だけのようで寂しいかがする。
ぜひ残し伝えていきたい行事である。
豆まきの日の食事は、白斑を炊き、頭を落とした魚をおかずと決まっていた。
汁物はごった煮、漬物は沢庵付け、白菜漬けなどが添えられた。
食事が終わると、急須に煎った大豆を入れ湯を注ぎ「副茶」として、大豆の煎られた香ばしい香りを楽しんだ。
煎った大豆は一生枡に容れ、白飯を器に盛り戎大国様にお供えをし、五穀豊穣・疫病退散を願い祈る。

ちちんぷいぷい

「ちちんぷいぷい」の呪文は、鰯の頭を焼く時だけでなく、母は、「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの、飛んで行け」などと言い、子供をあやす時などに呪文として使う事があったことから、父に、「ちちんぷいぷい」とはどのような意味があるかと尋ねたことがあったが、親父がやっていたので自分も同じことをしているとの答えであった。

ちちんぷいぷいとは「ちちんぷいぷい御代(ごよ)の御寶(おんたから)」の略(三省堂新明解国語辞典)とある。三代将軍徳川家光の乳母・春日野局が子をあやすために「知人武勇は御代のお宝」(知力と武力に長けたあなたは徳川家の宝なのですから、どうか泣かないでください)と残したことに由来するとされる。また仏教用語の「七里結界」(四方七里に邪を寄せ付けない結界を張る)に由来するとされている。

豆まき 大豆

もともと穀物や果物には「邪気を祓う霊力」があるとされることから、大豆を炒って福豆として用いた。

豆まき

また、豆を前日に神棚に供え、神様の力を宿し、鬼は暗くなってから現れるとされ、家中の入り口や、戸口、窓を開け放ち、家の外にむかい「鬼は外、福は内」と豆をまきながら大きな声をして各戸口を回り、戸をおもいきりしめた。一家の主や跡取り、年男が豆をまく習わしであったが、現在、我が家では、大人から子供までがそれぞれのマスに入れた豆を持ち、多い時は10人にもなるが、皆で大きな声で「鬼は外、福は内」と大きな声を出して豆まきを行っている。子供のころは、近所の豆まきの声が聞こえることから、近所と競争で早く行った。豆まきが終わると、1年の健康を願う縁起物として家族全員が自分の年齢より一つ多くの数の大豆を拾い食べ、夕飯になる。

節分の「豆」は「魔を滅する」に通じる事から、鬼が嫌うとされ、中国で悪いことが侵入するのを防ぐ桃の花が供えられた。このことは桃から生まれた「桃太郎伝説」の鬼退治にもつながるとされている。昔話でおなじみの「鬼」は、悪いものが入ってくるのは十二支の「牛とら」の方角(北東、鬼門)と言われ、「牛のようにつのをはやし、トラの毛皮を身にまとう」また、「異民族を意識し、肌の色を赤や尾になった」というイメージが出来上がったものと言われている。鬼の色は、赤(貧欲)、青(怒り)黒(愚痴)黄(甘え)緑(おごり)と、人間の醜い感情を鬼の色であらわしていると言われている。

また、鬼門(北東)に鬼が住むと言い、柊を植え、裏鬼門には南天の木を植え、邪気(鬼)から守る風習があった。難点は「難を転ずる」と言い、縁起の良い木として、家の周りの良、悪の方角に植えられている。おじいさんは大変気にしていたことから現在でもその名残として柊と南天が植えられている。

豆まきの日の御馳走

豆まきの日の御馳走は、白いご飯に頭をとられた鰯を焼きおかずとした。また、ハクサイ、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、サトイモ、ほうれんそうなどを一緒に煮込んだ、ごった煮(ごった煮汁)を食べ、食事が終わると、豆を急須に入れ湯を注ぎ、茶の代わりに「福茶」として皆で飲むのが習わしだ。

立春

立春は、二十四節気の一番最初の節で旧暦では立春が一年の始めとしていたことから、立春から八十八日目を「八十八夜」と言い、茶摘みの始める目安としたり、「二百十日」「二百二十日」を台風を警戒する日とするなど立春を基準日として決められている。

「春一番」

春となって一番最初に吹く強い南からの風を言い、立春から春分の間に吹く風を差し、寒い冬から南風の嵐が春を連れてくる、冬の終わりを予感する季節となる。

初午

旧暦二月最初の午の日に行う稲荷神社の祭礼を「初馬」(はつうま)と言う。稲荷は商売繁盛の神とされるが、主祭神は農耕を司る・五穀豊穣の神宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀っている。「うか」は食物、稲霊を意味し、もともとは稲成(稲生り)から来る語源とされている。

稲荷社の主祭神で、「日本書紀」によると、月読命(つくよみのみこと)をもてなすときに汚らしく口から食べ物を出したために殺されたが、その死体から、五穀や牛馬、蚕などが生じたことから、五穀と養蚕の神となった。

どこの農家にも「お稲荷様」と称し、勧請(神仏を分霊して祀ること)され、お祀りされている。我が家では、最後の分家であり、力量もなかったことから、には稲荷様を祀ってはいなかったが、おじいさんが、赤飯を持って、隣の本家のお稲荷さんに赤飯と油揚げをお供えし、五穀豊穣を祈ったと言われている。

大本家の稲荷様

大本家のお稲荷様は入口に赤い鳥居が立てられ、大きな上屋(赤く塗られた)がかけられた中に、神社型の小さな祠があった。そこには、稲荷神のお使い(神使)である一対の、耳がピット立った、目がつり上がった、赤い口をした白いきつね(30センチ、1対)が置かれていた。

平安時代、真言宗を開いた空海が、東寺(教王護国寺)をたまわった時に近くの稲荷社を鎮守神とした。空海のおしえが広まると同時に仏教の守護神・荼枳尼天と稲荷が集合した事に由来し、荼枳尼天が狐に乗って飛ぶ姿から、狐が稲荷の使いとされたと言われている。

初午のご馳走

家では、赤飯を蒸かし、お稲荷さん(稲荷寿司)を作り、ネギと油揚げの入った味噌汁を食べた。

この時期は、今と違い気温も低く厳しい自然環境にあり、畑には緑のものはなく、暮れに干した大根の葉を戻すか、ネギぐらいであった。

山の神様を畑に祀る

京都伏見の稲荷大社の神木としての杉の木の枝を持ちかえると願い事がかなうと言われたことから、山から下りてくる神を迎えるために、畑に竹の棒をたて、杉の枝に紙垂(しで)を括りつけ、柏手を打ち、五穀や野菜、蚕の豊作を祈願した。

お稲荷様のお供え物

「お稲荷様」にはお神酒、赤飯、狐の好物と言われる油揚げが供えられ、幟を立てる。幟は、宇宙青(せい)、黄(おう)、赤(しゃく)、白(びゃく)、黒の順に糊でつなぎ、奉納、正一位、稲荷大明神と書き、左側に名前を書く。幟の字を書くと、字が上達すると言われた。

梅にウグイス

梅はどの農家も屋敷内や畑の中に植えて、実を梅干しとして保存食とし、また、梅酢を胃腸薬や調味料としても活用した。梅の木には早春から鶯がやってくる。鶯色の鶯は「春告げ鳥」とみ言われ、毎年やってくるのを楽しみにしていたもので、最初は、「ほー・ほけきょ」と上手に泣くこともできず、目を、耳を楽しましてくれる。

ややもするとこの時期は、同系色の目白と間違えることも多く、目白は、「ちっ、ちっ、ちっ」と忙しなく泣きながら木々の枝の間を飛び交い、小さな虫を探している。

鶯を春告げ鳥とも言い、鶯の鳴き始めを「初音」と言う。

お節句用の餅つき、三色の菱餅、雛あられ

三色の菱餅、雛あられ

雛祭り(3月3日、上巳の節句)に雛壇に飾る餅、雛あられを作るために煮、雛祭り前に餅を搗いて、3色の餅を搗き、菱餅とあられを作った。

菱餅は、一番上に赤、継ぎにしろ、下に緑の3枚の餅をひし形に切って重ねたものを1対用意した。3色はそれぞれ、桃の花、白酒、蓬を表し、赤は魔よけ、白は清浄、緑は蓮の色で邪気を払う力があるとされている。

また、赤(もも色)は解毒作用のあるくちなしの実、白は血圧を下げる菱の実、緑は厄除けの力がある蓬(古くは母子草)が着色に使われたが今ではほとんどが化学着色料を使われている。餅がひし形に切られる理由は、竜に襲われそうになった娘を救うのに菱の実を使って退治したという、仏典の説話に由来すると言われている。

切り落としの餅をさいの目に切り乾燥させてから、炭火で炒り砂糖やはちみつで甘みを付け、雛あられを作る。又は、油で揚げて雛あられを作る。

春一番・春の嵐

立春から春分の間に吹く南寄りの強風の事を春一番と言う。三寒四温と言われる時期になると、あと何日すぎると春になると、春の足音を感じてくる。今日はいつもより温かいなと感じるときに、突然暖かい南風が吹いてくると、「春一番」と言われる。その翌日は、西高東低の冬型の気圧配置に戻り、北風が吹き寒さが戻る。冬の気圧配置が換わり、南の暖かい空気が風となって、吹いてくると、常緑樹の木々の枝は、南の風に春だとばかりに波打つように騒ぎだし、冬の北風に耐えてきた落葉樹の木々の枝は、くねるように枝を震わせる。寒い北風によって南側に打ち寄せられていた落ち葉は、いきなりの南風に北側にと吐き出され、畑や道路に散らかし、一緒に土ぼこりを舞いあげ、空気中に土や塵が浮遊し、風景は土気色にかすみ、夕方には、夕焼けと共に、見上げる空が赤紫色になることもあった。

火山灰土壌と茶の栽培、カミソリのような歯のついた農具

三鷹市の土壌は、腐植質火山灰土壌であることから、軽く風により吹き飛ばされるなど、冬の北風は土を南に吹き飛ばし、春の南風により北へと飛ばされ、畑の真ん中が低くなる。このことから、畑の四方に茶の木を植えて土の移動を抑えてきた。茶の栽培は、茶の収穫と土の移動を抑える効果を抑えるのに効果的であった。

腐植質火山灰土の土は、石などを含まないことから、農作業の時に常に石を拾い、石が畑に入らぬように気を付けてきた。鍬や鎌は剃刀の刃のように研がれた道具を使う農業が発展してきた。

春一番と矢じり石

風による土の移動は時に思いもよらぬ現象を引き起こすことがある。畑に石や異物があるとその周りの土を吹き飛ばし、土の突起の上に石や異物を載せている。あるときに、きらりと太陽の光を反射するものがあることに気づき、取り上げてみると、黒曜石で出来た矢じりであった。春のあらしが過ぎ去ったあとの畑に矢じりを探す楽しみができた。矢じりの発見は、なぜここに矢じりがあるのか、近隣には黒曜石は産出しないことから、ルーツ、ルートはどの様になっているのか、動物や鳥の狩猟の地であったか等ロマンをかき立ててくれた。その後にこれらの疑問の多くは解決することになった。

閏年

風による土の移動は時に思いもよらぬ現象を引き起こすことがある。
畑に石や異物があるとその周りの土を吹き飛ばし、土の突起の上に石や異物を載せている。

あるときに、きらりと太陽の光を反射するものがあることに気づき、取り上げてみると、黒曜石で出来た矢じりであった。
春のあらしが過ぎ去ったあとの畑に矢じりを探す楽しみができた。
矢じりの発見は、なぜここに矢じりがあるのか、近隣には黒曜石は産出しないことから、ルーツ、ルートはどの様になっているのか、動物や鳥の狩猟の地であったか等ロマンをかき立ててくれた。
その後にこれらの疑問の多くは解決することになった。
季節と暦とのずれを補正するための月数が平年より多くなる日・年。四年に一度、オリンピックの開催年を言う。
太陽暦(新暦)では、基準となる地球の公転が365日5時間48分46秒であるために、4年ごとに2月を29日とと定めている。

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