選挙応援で立川に寄ったのち、八王子タワービルの中で開催されている「八王子車人形」の催しを鑑賞する。

その後「滝山城跡」を見学する。八王子北口よりバスで滝山城へ向かったが、途中に「東京純心大学」小・中・工の学校があったが、大学の多さに改めて驚いた。

滝山城は、昭和26年に国史跡に指定され、中世城郭の最高傑作と言われ、山間の地形を生かした、1521年ころに玉一帯を治めた大石氏により築城された。北関東侵出、武田氏に備えるための北条氏の支所となった。北を多摩川、南を谷地川に挟まれるように東西900メートルの平山城で、東日本では最大規模である。本丸・二の丸・三の丸・空堀・土塁・馬出等の遺構が残され、現在は都立滝山公園となっている。

残念ながら、3の丸跡まで行ってみたが、靴が持ちそうもないので引き返すこととした。

滝山三城と言われ、滝山城跡、高月城跡、根小屋城跡がある、いつの日にか登山ができる服装で散策を誓う。

八王子車人形の実演舞台・人形・車の展示場・人形の頭

車人形は、ろくろ車(箱車)に乗った人形遣いが一人で一体の人形を遣う人形芝居である。文政8年(1825年)に飯能市に生まれた山岸(初代西川古柳)によって幕末に考案され、多摩地方中心に関東一円に広まった。明治時代に八王子に伝えられ、八王子車人形西川古柳座によって継承され、養蚕や織物で発展した八王子で親しまれてきた。八王子車人形は、伝統的な説教浄瑠璃・義太夫の語りとともに演じられる。

滝山城跡

滝山城は、自然地形を巧みに利用し、巨大な空堀で主郭部を囲んでいる。中世城郭の最高傑作とも言われ、以降も確りと残されている。

大永元年(1521)に武蔵野守護代大石定重が築城し、後に北条氏照が拡張、改修した。その後は氏照が八王子城の築城に取り掛かり、天正15年(1587)に移った。

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