国立「谷保天満宮」参拝

由緒は、昌泰四年右大臣菅原道真公筑紫太宰府に左降の折、第三子道武公は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(現国立市谷保)に配流せられた。延喜三年父君薨去の報に、道武公は思慕の情から父君の尊容を刻み鎮座したのが起りである。天暦元年京都北野天満宮造営の折、当社の威霊を奉上され村上天皇の勅により神殿を造営され官社に列せられる。建治三年後宇多天皇の勅により藤原経朝書「天満宮」の扁額を納められる。 その後、道武公の裔孫津戸三郎為守は源頼朝に仕え数々の武功を立てるが、養和元年十一月三日旧来の地(現国立府中インター付近)より神殿を現在の地に遷し、太宰府に模して梅香山安楽寺を興し、 社務六院を置き祀典を司どった。

明治十八年には府社に昇格し東日本における天満宮としては最も古く、湯島天神、亀戸天神とならび関東三天神と称される。

谷保天満宮パンフレットより
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御祭神は菅原道真公・菅原道武公

交通安全祈願発祥の地

谷保天満宮梅林の「有栖川宮威仁親王殿下台臨記念」の石碑は、明治41年8月1日に、宮様ご先導による「遠乗会」と称されたわが国初のドライブツアーが谷保天満宮を目的地として開催された証です。
宮様御一行は拝殿に昇殿参拝の後、「遠乗会」における谷保天満宮の梅林にて昼食会が模様され、帰途に就かれ、故障や事故もなく無事に東京に戻られました。
谷保天満宮が交通安全発祥の地たる所以です。

ホームページより

甲州街道より、大鳥居をくぐり境内に入ると左右は欅などの高木がある雑木林が続き、2の鳥居から古い階段があり、はけを降りて行くと平らな土地に降り立つ。右側に天満宮が鎮座し、左側には神楽殿が構えている。天満宮に向かうと、柵を超えると一対の大きく立派な灯篭が立つ。柵の前に大きな牛が寝ている像があり、由緒を彷彿とさせ、柵を超えると一対の大きく立派な灯篭が立ち、右側に石の牛が置かれ左側には御神木の大イチョウ、さらに一対の狛犬が置かれている。右側には心願成就の絵馬が下げられた棚あり、左側には社務所・宝物殿(神主が多忙のため宝物殿は見学できなかった。)がある。明治41年8月1日に日本初のドライブツアーが谷保天満宮を目的地に開催されたことは、明治の発展の速さに驚きを感じる。またそれを由縁として交通安全祈願の発祥の地となっていることも理解できる。ホームページを見てみると、各種のお祭りや行事が盛んにおこなわれていることがわかる。是非一度見てみたい。



























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