武蔵御嶽神社参拝

三鷹市内の農業が近郊農業として盛んであったころから行われていた、五穀豊穣、疫病退散、災害よけ、魔よけ、厄除けなどを願い、崇敬者も多く参拝に訪れており、地域には崇敬組織である講が組まれ、寺社参り、御嶽参りが行われるようになった。都市化と近郊農業の衰退により、参拝者は減少し、講の維持もままならず消滅する地域も多くなってきたが、現在でも講を維持し、代参が行われている地域もある。中央線、「JR中央・青梅線青梅特快・青梅行き」に乗車、青梅駅でJR青梅線・奥多摩行きに乗り換え御嶽駅で下車する。駅頭では、特産の生山葵の売店が出ていた。駅前のバス停より、西東京バス・御嶽駅―ケーブル下行に乗車、発車すると間もなく、大きな赤い鳥居をくぐり、10分程度でケーブル下駅に到着、徒歩5分程度で、滝本駅に到着、御嶽登山鉄道御岳山ケーブル・御岳山行きに乗車、7分程度で御岳山駅に到着しケーブルを下車。その後御岳平駅よりリフトに乗り、大展望台駅で降りる。バスが走り出すと窓に風花が舞うのが見られ、今年の初雪だと知らされ、大変寒い一日を予測したが、風花もやみ安心をする。いよいよ「武蔵御嶽神社」参拝に向かい歩き始める。最初に参拝したのは、江戸時代「浅間山」と呼ばれ、桜の名所であった場所に立つ「産安社」(縁結び、子宝、安産祈願の神社、長寿の神としても信仰を集めている。)に参拝する。
御才神は木花咲耶比売命(このはなさくやひめ) 繁盛・良縁、盤長比売命(いわながひめのみこと) 長寿・健康、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)が祀られている。

「産安社」本殿


子授け檜


夫婦杉


安産杉


子授檜

山道を下り、花がない季節であり残念に思いながらレンゲショウマの群生地を通り、参拝路に、途中神代欅の幹の太さに驚き、途中には檜皮葺きの立派な屋根を持つ神社の屋根と見間違うような家がある。神主である「御師」が宿坊を営み宿泊施設を持つ家が並んでいる。土産物屋食堂を営む店が並ぶ商店街を通り、鳥居をくぐる。





駐車場から1の鳥居・随身門を見上げる


参道2の鳥居

随身門をくぐり、いよいよ境内の階段を登り始めると、講中の参拝を祈念する石碑が立ち並んでいる残念ながら、三鷹市の物は発見できなかった。にある。階段は300段あると言われ、社殿まで続いていた。途中に、中里介山作「大菩薩峠」記念碑があり、「この武州御嶽は名作の地として永遠に国民の魂とともにある。」と記されている。近年、本殿をはじめとする改修が行われたもので、彩色は美しく、参道も整備されたものと伺え、参道の柵の石柱には、TA関係の名が記載されている。また三鷹市の地域講中からも協力があったものとうかがえる。

大菩薩峠記念碑


参道柵の記名


参道石段下より本堂を見上げる

階段を登りきると境内への入り口となる。入り口には、大口真神が祀られ、「お犬さま」が両側に置かれ参拝者を見守っている。(北村聖望作・聖徳太子像昭和60(1985)年に奉納された)

お犬様のお姿




背面よりのお姿



進むと彩色も艶やかな拝殿へ向かい参拝し、左側の神楽殿横の神符授与所に寄りお札を授かる。境内に入ると様々な末社が祀られている。(拝殿は五間社入母屋造の大きな社殿で、朱塗りで鮮やかに彩られており、唐破風の向拝には彫刻がある。本殿は一間社神明造で明治10年(1877年)に造営された。酉年に行われる酉年式年大祭で、本社の内陣に祀られている秘仏の蔵王権現が12年に一度御開帳される。)

二柱社


八柱社



ご本殿左側より北野社・菅原道真を祭る。

目次

神明社

天照大神を祭る。社殿は神明造である。




巨福社

埴山姫命を祭る。流造の小さな社殿が覆殿に納められている。

大口真神社(おおくちまがみ しゃ)

大口真神を祭る。御嶽神社の眷属である狼を祀っている。古くは神饌を供える台のみであったが、江戸時代末期に社殿が建てられた。現在の社殿は昭和14年(1939年)に建てられた一間社流造の社殿で豪華な彫刻が全体に施されている。



常磐堅磐社(ときわかきわ しゃ)

祭神は境内案内によると、崇神天皇・景行天皇・安閑天皇・清和天皇と狭依比売神ほか96柱とあるが、神社頒布物によると、諸国一宮祭神となっている。社殿は永正8年(1511年)以前に造営された旧本殿であり、東京都指定有形文化財に指定されている。一間社流造で漆黒に塗られ荘厳な装飾がほどこされている。



東照社

東照大権現を祭る。元々は現在の皇御孫命社の社殿が東照社であった。

皇御孫命社(すめみまのみこと しゃ)

瓊々杵尊を祭る。瑞垣に囲まれており、社殿は朱塗りの一間社入母屋造で千鳥破風と唐破風がついている。元々は東照社の社殿であったため、三つ葉葵の紋なども見られる。



東照社

東照大権現を祭る。もともとは現在の皇御孫命社の社殿が東照社であった。



武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)

御岳、御嶽とは修験道の中心地である奈良県吉野の金峯山を指している。蔵王権現、櫛真智命などを祀り、中世以降、江戸時代には山岳信仰の霊場として発展し、武蔵・相模に渡る信仰圏を講中制度などにより拡大した。崇神天皇7年(紀元前91年)の創建とされ、天平8年(736年)に行基が蔵王権現を勧請したといわれる。文暦元年(1234年)に大中臣国兼が荒廃していた社殿を再興し、以降は修験場として知られ、関東の幕府や武士から多くの武具が奉納される。徳川家康は慶長10年(1605年)には大久保長安を普請奉行として本社が、元禄13年(1700年)には幣殿と拝殿が建立された。明治に入ると神仏分離によって、それまでの御嶽大権現(御嶽蔵王権現)から大麻止乃豆天神社、御嶽神社と改称した。昭和27年(1952年)に現在の武蔵御嶽神社に改称した。ご眷属の大口真神(おいぬ様)も祀っていることから、祈願のため犬を連れた参拝客が近年増えており、御岳山を登る御岳登山鉄道は、ケージを用いずに犬を乗車させることができる。宝物殿には多くの国の文化的財産である文化財が保存されている。国宝・赤糸威鎧 兜・大袖付
畠山重忠より建久2年(1191年)に奉納されたと伝える。円文螺鈿鏡鞍 一具(鞍、鐙、轡、鞦)鎌倉時代の作。鞍、鐙(あぶみ)、轡(くつわ)、面懸(おもがい)、胸懸(むながい)、鞦(しりがい)から成る馬具一式

目次