武蔵国分寺遺跡後に行く。

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武蔵国分寺遺跡後に行く。

かねてより行ってみたいところであった。

高校時代は国分寺より府中駅行きのバスに乗り、明星学園前で下車し、府中刑務所の北側の幣を目指して歩いてゆくと校門があった。1年生の時に、3億円強奪事件が発生したが、まさしくその現場の近くが校門であった。

当日は、小雨の降り続く冷たい朝であったが、遅刻して登校したために、警察官から、発煙筒、爆発物に火がつけられているので隠れなさいと指示され、電柱の陰に隠れた。

教室に入ると、空には報道のヘリコプターが旋回し、事業にならず、授業は休憩となり、先生と一緒に窓からヘリコプターを見上げ、報道機関の名前を読み取ってその事件の大きさを予想していた。

どのクラスもその時にはまだ事件の全容がわからず、教室の中はざわついえおり、一日授業は休憩状況系状況で、一日が終わってしまった。

通学時は、バス通学で、天気が雨でなければ、友達5~6人の友人たちと歩いて国分寺駅へ帰ることにしていた。

学校の裏門から出て、7重の塔跡の礎石に腰を下ろしておしゃべりをしてから、湧水から流れる小川の淵を通り国分寺駅へと向かった。

当時と通った道は、畑地帯で両側に茶の木が植えられていた農道であったと記憶しているが、今ではほとんどが住宅地となり、国分寺遺跡用地として公園になり、整備されているため、どこであったのか確認することができない状況であった。改めて、時間をやりくりし、自転車で、散歩がてら再確認をしたい。

現在の国分寺を参拝 楼門、武蔵国分寺資料館、おたかの道湧水園を見学、地図を持たず、場所がわからず閉口した、今日は7重の後だけを確認しようとしたことが間違いであった。

うろうろしていると、地域の害どのように詳しく知った方に会い、講堂、金堂跡を見学した。

「武蔵国分寺のはなし」国分寺市教育委員会編、「ふるさと国分寺のあゆみ」国分寺市教育委員会の2冊を買い求めて帰る。


現国分寺


国分寺本堂


楼門


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