花まつり
花まつりとは、お釈迦様の誕生日を祝う行事です。お釈迦様はインドのルンビニーで誕生し、サンスクリット語で「ゴータマ・シッダールタ」と名付けられた。ルンビニーはネパールの南部にある小さな村の名前で、仏教の四大聖地とされている。
お釈迦様は、母親摩耶夫人(マーヤーがルンビニーの花園で休んでいたときに、脇の下から生まれたとされ、そのときに9匹の竜が天から清浄の水を注ぎ、生まれ落ちたお釈迦様はすぐに7歩歩き、右手で空を、左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と言葉を発したという伝説がある。
29歳までは王子として恵まれた生活を送っていたが、人生の真実を追究するために出家を決断し、苦しい修行を乗り越えて35歳で悟りに達し、仏陀となった。
それから80歳になるまでインドの各地で教えを説いて周り、現インドのカシア付近の村クシーナガルで入滅した。(入滅とは、お釈迦様や高僧の死に対して使われる言葉)
お釈迦様の誕生日は紀元前463年の4月8日という説が一般的に知られているが、数多くの説がある。お釈迦様の誕生日は、南伝仏教では起源前624年とされ、道元の「正法眼蔵」には紀元前1029年と記載されている。7世紀ごろに中国から日本に伝わり、現在まで、4月8日に仏教行事である灌仏会(かんぶつえ)が行われている。
この灌仏会が花まつりになった理由も諸説あり、花まつりでは「天上天下唯我独尊」と言葉を発したときのお釈迦様の像(誕生仏)に甘茶をかけて祝う。これは生まれて初めて言葉を話した瞬間と、9匹の竜が天から清浄の水を注いだという伝説を表している。
なぜ甘茶が使われるの?
灌仏会で使用されている甘茶は、ヤマアジサイの変種である「小甘茶(こあまちゃ)」から作られる。
小甘茶は、小さい花のたくさんついている中央部分を取り囲むように大きい花がついている不思議な形状をした植物で、赤色や紫色のものが多くあります。
小甘茶の葉は苦く、発酵させると砂糖の100?1,000倍の甘さになると言われ、砂糖がない時代には甘味料として非常に重宝され、漢方薬の苦み消しや民間療法などに使用された。
甘茶には「上に立つ者がよい政治を行って平和な世が訪れると、甘い露が降る」という中国の言い伝えや、「甘茶は神様の飲み物で、飲むと不老不死になれる」というインドの伝説などがある。お釈迦様に甘茶をかける行為は、お釈迦様への信仰の表れであると言えるのです。
お釈迦様は紀元前5世紀頃の4月8日に、現在のネパールのルンビニの花園で誕生したいわれを基に、寺院ではたくさんの花で飾った花御堂(はなみどう)を作って祝うことから、花祭りと呼ばれるようになり、灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、降誕会(こうたんえ)などの呼び名がある。
花御堂
この日のために作られる小さな堂で、花で飾られ大変華やかです。お釈迦様が生まれた地とされるルンビニの花園に見立てています。
誕生仏のポーズと「天上天下唯我独尊」
花御堂には、天と地を指す誕生仏が安置されています。伝承によると、お釈迦様は生まれてすぐに七歩歩き、右手で天を、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」(生きとし生けるものは全て尊い命を持つ尊い存在であるということ)と言ったとされ、誕生仏は、このときのお釈迦様の姿を表している。
誕生仏に甘茶をかける
花御堂の誕生仏に甘茶をかけてお祝いし、お釈迦様が生まれた時に九頭の龍が現れ、頭から香湯(甘露の雨)を注いだという伝承に由来し、奈良時代には、当時は香水と呼ばれる水をかけていたが、江戸時代に甘茶をかける習慣が広まった。
甘茶の風習
花御堂の誕生仏に甘茶をかけてお祝いし、お釈迦様が生まれた時に九頭の龍が現れ、頭から香湯(甘露の雨)を注いだという伝承に由来し、奈良時代には、当時は香水と呼ばれる水をかけていたが、江戸時代に甘茶をかける習慣が広まった。
白い象
花祭りには、白い象は、お釈迦様の母親である麻耶王妃は、白い象が体に入る夢を見てお釈迦様を身ごもったと伝えられている。
花祭りの食べ物・行事食
花祭りでは、甘茶は、飲むと無病息災でいられる。
甘茶というのは、ユキノシタ科のアマチャの葉を蒸して揉み、乾燥させて煎じたお茶で、ほんのりとした甘みがあり、漢方薬としても使われる。
自宅でも楽しめる。
また、花祭りには、精進料理や旬の食材が好まれ、地上に出たばかりのタケノコは、土の中から天に向かって真っすぐ伸びる姿が誕生仏に似ていることから、別名・仏影蔬(ぶつえいそ)と呼ばれ、尊ばれ、古くは「笋」と書いて、タケノコの新芽を表す。他にも、サヤの先が天に向かって伸びる空豆(別名・仏豆)、「天上天下唯我独尊」に通じる独活(うど)などが用いられる。