午前0時からの参拝者をお待ちした。

令和4年12月31日午後10時より、令和5年1月1日参拝者の為に、かがり火をたいておもてなしの準備を行い、午前0時からの参拝者をお待ちした。参拝者は、例年に比べ大変少なかった。コロナの感染拡大の数値が上昇していることが原因であるのか、景気の変動、ロシアのウクライナ侵攻が原因か、政府の軍備費用の増大、捻出が原因であるのか、考えさせられることが多い。

長男と共に、野崎八幡社新年祈願祭に出席、出席者が減少している。昼から菩提寺長久寺へのお年賀に伺う。その後、長男、次男家族、三男、長女とともに深大寺を参拝する予定であったが、娘が扁桃腺を晴らし途中で不参加となったが、深大寺では参拝者の長蛇の列をなし、お参りを諦めていたところ、深大寺にお年賀を届けると本堂でのお参りが許されることとなり、良いお参りができたが、元三大師はお参りができない状況であった。

深大寺のお参りを済ませ、蕎麦屋で皆一緒にそばを楽しみ自宅へ戻った。自宅に戻ると、孫5人が大きな声を出し、はしゃぎ遊ぶ様子は久しぶりに我が家の活気を取り戻し、子どもの賑やかな家となったことはことのほかうれしい正月となった。

子どもたちは、綿あめの機会で遊び、たこ焼きを楽しみ、長男の計らいで、お好み焼きパーティを行い、孫たちと共に大いに盛り上がりました。

私の今年の目標の最大課題は、議員生活を終了することに伴う後継者の必勝、絶対当選の実現である。月初めより準備を始めることとする。

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