所沢父の墓参りに行く。厚木姉の墓参りに行く。

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姉のお墓がる常在寺 山門・本堂 姉のお墓は裏手にある。




お墓参りの帰りに寄ったお寺




帰りの道すがら、座間神社に立ち寄り、参拝する。急な階段の参道を登ると本堂につき、左に立派な御神木があり、そのわきに名水が湧き出している。
「相模の飯綱さま」と親しまれている当神社の創祀は神代と云われ、一つは欽明天皇の御代(五三九~五七一)に、坐摩郷(座間の古名)に悪疫が流行した折に飯綱権現の化身である白衣の老人が現われ、崖下の森の中に湧く清水を、村人がそのすすめに従ったところ、悪疫はやみ、飯綱権現を祀ったというのです。
別の説(明治十二年編成皇国地誌)では、約八百年前の源頼朝が鎌倉へ幕府を開いたころ、悪疫が流行したした時に白衣の老人が来て、日本武尊を祀れば悪疫が治まると教えたので、日本武尊を祀ったといいますが、その時代は正和二年(一三一三)で、祭神は飯綱権現だという説もあります。
飯綱権現は、江戸時代には防火の神として信仰されていて(本来は伊勢の豊受大神と同じ食物の神様)、座間神社と改め、明治九年で日本武尊が野火で攻撃された時、剱で草を刈って防いで勝ったという神話にもとづき、後世防火の神様ともされ、明治時代になって村社とされるとき、同じくご利益のある日本武尊に祭神が改められました。
正和二年、社殿を再建します。

ホームページより

古くからこの地は、八王子街道の宿場街として栄え、ここを往来する人々、 また生糸を運ぶ車両の安全を祈念した人々で社頭が賑わいをみせたとも伝えられています。



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