国際基督教大学との包括連携協定の締結についての提案

令和3年7月18日

国際基督教大学との包括連携協定の締結についての提案

三鷹市議会自由民主クラブ 幹事長 宍戸治重

当地は、中島飛行機による買収以前には、本館近くに3軒家と言われ、3軒の農家があり、工場建設のために買収が行われたが、現在も小金井に繋がる道の跡が残っている。

我が家は山田別荘時代から関係があり、叔母たちは泰山荘というよりも山田別荘の話が端々に出てきた。冬になると別荘の中の周りの夏に伸びた雑草を刈込(下草刈)、熊笹が建物の近くまで繁茂しないように刈込を行い、落ち葉を集める(くずはき)の役向きを担っていた。また、崖線を降りていくと、石庭があり、池にはマスが飼われており、山葵田がいくつかあり、管理を行っていた。その後、近隣市の水道のために掘られた深井戸の為に湧水がすっかり枯れてしまい、池、山葵田も機能しなくなってしまった。そのようなこともあり、子供のころより良きあそび場であった。泰山荘となってからは、近隣の農家は範囲を決め、落ち葉の発酵熱を利用し夏果菜の発芽温度を確保するために、堆肥として利用するためにくずはきを行っていた。父が中島知久平氏と交流が深かったこともあり、管理を行っていた方とも交流があった。マスや肥育していたハチが作る蜂蜜をいただくのも年中行事であった。

泰山荘の門の手前には大変太い赤松の木があって、フクロウが巣をつくっていた。手前左側には、2件の居宅が並んであって、当時の別荘には、書家や画家の書生を住まわせることがステイサスであり、家事や所用・雑役を行う役割をしていたと聞く。

国際基督教大学は国分寺崖線の上にあり、国分寺崖線は、古多摩川東岸部に連なる河岸段丘であり、高低差20メートルの涯が約30キロメートルにわたって連なっている。崖線上からの眺望は良く、江戸時代から名所とされ、明治初期から昭和初期にかけて実業家や政治家の別邸が数多く建てられた。

風景地である。現在の国分寺崖線は、宅地開発などの要求もあって、現地系や湧水、樹木の消失の危機にある。東京とは「「東京と景観計画(2007年4月施行)において、国分寺崖線を景観基本軸として位置づけ、国分寺崖線という貴重な自然環境や、水田、寺社などの歴史的・文化的資源の保全を目標に、建物の規模や色の制限、緑化等による緑地の連続性の保持を具体的な取り組みとして示している。

現在は、近隣市が水道水に活用するために、深井戸を掘削し地下水をくみ上げたために湧水は枯渇し、泰山荘の庭園は水がなく、山葵田も荒れ放題となっている。しかしながら、南側は野川公園として整備されたために、緑の景観が維持されている。

泰山荘はICU(国際基督教大学)の敷地内にある建築物であり、1936(昭和11)年頃実業家で あった山田敬亮の別荘として建てられた。 泰山荘を構成する建物の多くは移築されたものであり、その中でも高風居の一室をなす一畳敷は、北海道の名付け親として知られる松浦武四郎によって約130年も前に建てられた。 現存する6つの建物、「高風居(一畳敷を含む)」「書院」「待合」「蔵」「車庫」「表門」すべてが国登録有形文化財になっている。

ICUホームページより

また、中島飛行機は世界の最先端の飛行機製造技術を持った企業であったことから、三鷹の工業化を牽引し、市内の工業を育成させ、三鷹市発展させてきた歴史がある。

ICUの森、はけのみどりは変遷の中に残ることができ、三鷹市の貴重な緑地空間となって いるが荒廃がつづいている。過去には、薪の出荷用のくぬぎ、ならなどの薪材とされていた森であったため(現在ではなくなってしまっているが播きを切り出した痕跡、大きな切り株が多数あった。)に、森の更新がされていたが現在では、強い、大きな木だけが勝ち残っている状態である。(過去に森の更新について、レポートを提出した経験がある。ICUでは過去に専門の教授を迎え研究したことがあり、その女性の研究者と懇談したことを記憶している。)

◎国際基督教大学は多方面にわたり、多くの学術的研究が行われており、大学を地域のシンクタンクとして、研究や成果を地域の知的資源・財産として、地域に発信していただき、泰山荘は歴史的、文化的財産として、地域から世界に発信していただき、森は、大切な緑の財産として、自然環境を守るための財産として維持し、地域のまちづくり、産業振興に、大学と市民、行政が協力しながら守り、維持、発展に取り組む必要があると考えます。
また、市民とともに、大切な資源として認識し、まちづくりに生かしていくことが肝要と考えます。

  1. 国際基督教大学及び構内の持つ、研究・成果、魅力や普遍的価値を市民と共有すること。
  2. まちづくりに資源として活用をICUと協働して行うこと。
  3. 「武蔵野の森」を再生するための取り組みを行うこと
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